STORY

写真は愛、愛を届けるフォトグラファーになった私

「年齢は非公開にしようと思います〜」そう言って笑顔を見せてくれた高橋さん。優しい雰囲気とユーモアのセンスを持つ一方で、揺るぎない強い覚悟を持ってフォトグラファーを目指してきたという。「写真は愛」と話す高橋さんが、その想いを聞かせてくれた。

「頭も顔も良くないなら 手に職を」!? 祖父の家訓が人生を変えた

Qカメラとの出会いを教えてください

実家がレストランなんですが、よくご飯を食べに来てくれたお客さまの中にフォトグラファーがいたんです。まだ小さかった私のことを可愛がってくれて、使わなくなったカメラを譲ってもらったり、時々写真を撮ってもらったりしていました。

今思えば、それが私とカメラとの出会い。そして、フォトグラファーという仕事を知ったきっかけになりました。

Qまさか高橋さん自身が目指すことになるとは!? ということですよね。

亡くなった祖父の言葉も大きく影響しているかなと思います。祖父は和菓子職人だったのですが、それはもう寡黙な人で。まさに”職人”という感じの人でした。我が家には、そんな祖父から代々受け継がれてきた家訓のようなものがあって、それを意識したんだと思います。

「頭が良ければ学者に、顔が良ければ俳優に、どちらもなければ手に職を持て」というものなんですけど。私、それを真に受けちゃったんです(笑)

“自分でご飯を食べられるようにしなさい”というメッセージだったと思うんですけど…幼いながらに「フォトグラファー」という仕事が頭に浮かんできて、私はこの道に進もうと思ったことを覚えています。小学生の頃だったと思います。

Qええええ!! そこから本当にフォトグラファーになってしまったということですよね!? 夢を叶えるまでのことを教えてください。

どうしたらフォトグラファーになれるのかということを一生懸命に考えました。そのためには、情報収集しかありません。本気で探しました。

高校卒業後は、両親の勧めもあってカメラとは関係のない分野の専門学校に通いました。2年間もあれば、フォトグラファーの夢を諦めてくれるかな〜なんて思っていたのかもしれません。

でも、そう簡単には諦めないのが私の性格で(笑) この2年間の間に、地元仙台のテレビ局やラジオ局でアルバイトをしながら、業界の人に相談に乗ってもらって、東京でフォトグラファーになるための情報を集め続けたんです。

Q2年間、情報収集のためにマスコミ業界でアルバイトをしたんですね。

この2年間で、東京に出てフォトグラファーになるための「道すじ」みたいなものがわかりました。東京に出るためのお金も貯められましたし、十分な準備と覚悟ができたと思います。

当時、両親は驚いていましたし、反対もしていましたが、今は心から応援してくれています。

Qフォトグラファーになるまでの”道すじ”というと!?

当時は、フォトグラファーになるためのステップのようなものがありました。

はじめに、”白ホリ”と呼ばれる真っ白なスタジオで経験を積んで、その後に興味のあるジャンルのスタジオでアシスタント経験を積みます。いわゆる、ライティングなどの技術を覚えるためです。その後、目標とするフォトグラファーの元で修行をして、ようやく、フォトグラファーとして独り立ちしていくというステップです。

「感謝しかない」 たくさんの人に繋いでもらった道の先に

Q少しずつ夢に近づいていくような感じですね。途中で気持ちが折れてしまうことはありませんでしたか?

大変なことも多かったです。気持ちが折れそうな時もありましたが、諦めが悪いのか…こうと決めたら目標を達成するまで頑張るというのが私のポリシーなんです。少しずつ前に進みながら、ここまで来られたと思います。

東京に出る前は、カメラを買うお金もなかったんですよ!! 写真を撮るにしても、兄弟や両親のコンパクトカメラを借りて撮るスナップ写真程度。

東京へ出てから、自分の一眼レフカメラも買えるようになって、技術的なことが分かるようになると、次はあのレンズが必要だとか、この機材を揃えようとか、いつもワクワクしていました。ひとつずつ壁をクリアしていくようなイメージです。

Q自分で少しずつ前に進んでいくというパワーがすごいですね。

私のパワーだけではありません。私がフォトグラファーになれたのは、出会いに恵まれていたからです。

特に、フォトグラファーの師匠たちには感謝しています。「よしちゃんのやる気は、仕事で見せてくれたらいいよ」とチャレンジさせてくれました。実はこれ、本当にありがたいことだったんです。今でこそ女性のフォトグラファーも活躍する時代になってきましたが、私がアシスタントを始めた頃は、30年も前のこと……女性のアシスタントが好まれない時代でした。

そういう意味でも、ここまで道を繋いでくださったみなさんに、感謝しかありません。いろんなところに足を向けて眠れないんです(笑)

Qステキな師匠たちですね。高橋さんはどんな分野を専門にするフォトグラファーになったのでしょうか。

師匠たちは、料理専門のフォトグラファーでした。ホテルの料理を撮影したり、雑誌に掲載する料理を撮影したり。撮影環境がセッティングされたところで、こだわって撮るスタイルですから、必要なスキルを丁寧に教えてもらえて、きちんと育ててもらえたと思います。

師匠の元を卒業した後は、フリーのフォトグラファーとして出版や広告の撮影に携わってきました。お料理やタレントさんの撮影がメインです。

はじめて1人で撮影に行った日のことは今でも鮮明に覚えていますよ!! 都内のお蕎麦屋さんの取材だったんですが、とにかく緊張して…。当時はフィルムカメラだったので、デジカメのようにその場で写真の確認ができないんです。あの時撮った写真のことは良く覚えています。お蕎麦なのに”距離感”があるような、ドキドキが伝わる写真でした(笑)

写真は「愛」 その愛を発信できる仕事にやりがいを

Q写真からお蕎麦との距離感を感じてしまうなんて、緊張のデビュー撮影でしたね。リンクエイジとの出会いについて教えていただけますか?

リンクエイジと出会ったのは、3年前のコロナ禍がきっかけです。コロナ禍で仕事が止まってしまって、2ヶ月ほど仕事がない状況が続きました。不安がなかったわけではありませんが、時間を無駄にするわけにはいきません。これを機に写真への想いを整理しようと、写真の価値について考えたり、フォトグラファーがいることの意味を考えたりしました。

そんな時に「1枚の写真から愛を発信してください」というリンクエイジの求人広告を見つけたんです。この言葉を見つけた私は、”これしかない”と思いました。

Q「これしかない」ですか!? 高橋さんのどんな想いとリンクしたのでしょう。

写真への想いを整理する中で、写真って「愛」そのものだなと感じるようになりました。

私の母はアルバムを整理するのが上手な人で、私の写真をアルバムにして残してくれているんですが、そのアルバムの分厚いこと、そして冊数の多いこと。それにはもう驚きます。でも、それと同時に、母の愛情を感じずにはいられないんです。

親と一緒に過ごした時間、自分に向けてくれた気持ちなど、いろいろなものが写真には残っていて、時を越えて、母の想いが未来の自分に届く。写真には、そんな力があると信じています。

リンクエイジの目指すものはそういうものだと思いますし、自分の想いとリンクして、ビビッときたのだと思います。

Q実際にスクールフォトに挑戦してみてどうですか?出版や広告の撮影との違いに驚くことはありませんでしたか?

もう何十年とフォトグラファーをしてきましたが、出版や広告の世界と比べると、スクールフォトの現場で求められるスキルが全然違うんです。

スクールフォトは、子どもたちをリアルタイムで撮りに行くので、予想もしないようなことにも臨機応変に対応しなければいけません。報道カメラに近いようなイメージです。

一瞬で構図を捉えていく力だけでなく、このシチュエーションにはカメラのこの機能を使おうとか、機材をどうしようとか、瞬時に判断していく力も必要で。これってすごいことだなと思うんです。

先輩フォトグラファーのスキルの高さに驚くことも多くて、現場で一緒になった時なんかは、なんでも質問しちゃっています!!

Q高橋さんのようにキャリアの長い方でも、もっともっとうまく撮りたいという姿勢がステキです。

際に撮った写真に対してフィードバックをもらったり、現場でカメラの機能について教えてもらったり、カメラオタクの私にとって、ワクワクの連続です。

そもそも、私のようにキャリアが長いフォトグラファーに対してアドバイスをするのって難しいと思うんです。でも、それだと私の成長が止まっちゃいますから。私はどんどんアドバイスをもらいにいくようにしています。

リンクエイジのフォトグラファーとして、「もっといい写真を撮るために」という目的は同じですから、キャリアに関係なく、撮影テクニックを上げるための的確なアドバイスをしてもらえるので、とてもありがたいなと思います。

Qスクールフォトの現場で大切にしていることがあれば教えてください。

子どもと同じ目線で撮るようにしようとか、技術的なことで言えば色々なことがあると思いますが…私は”想い”の部分も大切にしたいなと思っています。

写真で「愛」を伝えるんですから、子どもたちの周りにある「愛」を写してあげることが大事。写真を見返したときに「愛」を感じられるように撮ってあげたいと思っています。

「これが愛だね」と気がつけるのは、何年も先のことかもしれないですが、その一枚の写真が、彼らの未来の中で孤独から救ったり、生きるヒントになったり、希望になるかもしれない。そんな大切な写真になるかもしれないと思うと、フォトグラファーがいることの意味みたいなものを感じます。

100歳までシャッターを切りたい 未来の写真に期待すること

Q「愛」についてたくさん語ってもらっていますが…!! リンクエイジには「すべての愛を力に変える」というミッションがあるので、高橋さんにとっての愛とは何か教えてください。

愛って、”見守り”に近いもので、そっとそばにあるものだと思っています。見返りも求めない、主張もしない。だからこそ、愛されている本人が気づかないことも多いですよね。

そういう意味では、写真は「愛」そのものだと思います。静かにそこに撮ったものが写っているだけ。人・料理・建築・作品・景色……など、何から愛を感じられるかは人によってそれぞれですが、どんな一枚にも「愛」はあるということです。

子どもたちが写真を見返すのは、何年後、何十年後になるかもしれないですけど、彼らが写真を見返した時に、愛を受け取ってくれるといいなと思います。

Q高橋さんのこれから挑戦したいことを教えてください!!

技術的なことを言えば、もっともっと上手に撮れるように努力し続けたいです。そして、100歳まではシャッターを切り続けたいなと思っています!! 一枚でも多くの写真を撮りたいな。

そして、未来の写真がどうなっているのかも見届けたいです。少しずつ変化はあると思いますが、この先もずっと、写真が持つ魅力というのはそのままでいてほしいなと思います。

もう何十年とフォトグラファーを続けてきたにもかかわらず、
「写真を撮れることがうれしい」そう言って目を輝かせてくれた高橋さん。

決しておごらず、むしろ謙虚にカメラと向き合い続ける姿勢に、彼女の人柄の温かさを感じずにはいられない。

あきらめない気持ち、感謝する気持ち、そして、愛を届けたいという気持ち

そんな強い想いが原動力となり、彼女は今日も笑顔でシャッターを切る。

Interviewee by Yoshiko Takahashi

Interview, Text by Miya Ando
miya_ando

Photo by Takashi Natori

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