語るだけで想いがこみ上げて胸が熱くなるような、人生を捧げるほど大好きなものに出会ったことがあるだろうか。心根の優しさが伝わる穏やかな表情でお話をしてくれたのは、フォトグラファー鈴木 雅之さん(59)。歩んできた道はすべてフォトグラファーになるために繋がっていたという鈴木さんに、その軌跡とこれからの未来について聞いた。
「絵を描くこと」と「写真を撮ること」
小学生の頃、修学旅行に持っていくために、父にコンパクトカメラを買ってもらいました。今思えば、それが僕のカメラ人生のはじまりだったように思います。
父はカメラ好きで、一眼レフで色々な写真を撮っていました。子どもの頃からたくさんの写真を撮ってもらったので良い思い出になっています。今でもカメラが好きなので、少し前にデジカメをプレゼントしたんです。とても喜んでくれて、今でも写真を撮っています。「写真」が親子の共通の話題なので、「もう少しこっちから狙ったら? 」なんてお互いに好き勝手言いながら楽しんでいます。
絵を描くことも好きだったので、高校生の頃に美術部に入っていました。ある日、もっと上手に描けるようになりたいなと考えたときに、あのカメラで写真を撮って描いてみようと思ったんです。そうしたら、上手に描けるようになってきたので不思議でした。
当時のカラーフィルムは、すぐに色褪せてしまって…セピアのような茶褐色の写真でしたが、それでも「この風景を描きたい‼︎」という一瞬を切り取っていくうちに、どんどん写真の方に魅力を感じるようになったんです。
そうなんです。上手に絵を描きたいと思って撮り始めた写真なのに、写真を撮っていくうちに、目の前の素晴らしい風景を残せる写真の魅力に惹かれていきました。だから、僕は高校卒業後、カメラの専門学校に入学しました。
当時、専門学校の授業でも、何度も絵を描いたんです。「なんで絵を描くの? 」と先生に聞いたら、「写真は絵だからね」と言われたんです。「絵が描けないと写真を撮れない」とも言われました。
確かに、絵と写真は「一瞬を切り取って残す」という共通点があります。絵を描く人は、「これだ‼︎」という一瞬の風景を描くために何時間もかけますが、写真を撮る人は、「ここだ‼︎」という瞬間を何時間も待って、最高のタイミングで「一瞬」を撮るわけです。
視点や手法は違っても、「一瞬を残す」という本質が同じだからこそ、僕が高校生の頃に描きたい風景を写真に撮っていたということは、とても理にかなっていたことだったのかもしれないと思いました。
「35歳でフォトグラファーに」そのために必要な道を歩んだ20代
卒業する頃には、35歳で一人前のフォトグラファーになることを目標にしていました。それでも、卒業後すぐにフォトグラファーの道に進んだわけではありません。
写真の世界で長く生きていくためには、広告やカタログなどの撮影技術を磨く必要があるなと思って、まずはそういった撮影に必要な「ライティング(照明)」の技術を身につけることにしました。そのため、卒業後は車のカタログ用の撮影現場で「照明係」として働き、照明のいろはを学びました。
その後、ステップアップのために、インテリアの写真を撮るフォトスタジオのアシスタントとして働き始めました。僕らアシスタントは、フォトグラファーがシャッターを押すまでのところ、全てを整えるんです…本当に忙しかったです(笑)
初めて写真を撮らせてもらえたのは、25歳ごろだったと思います。トイレやお風呂、キッチンなどを取り扱うメーカーの総合カタログを担当しました。任せてもらえたという喜びもありましたが、嬉しい反面、時間内にクオリティの高い写真を撮らなければならないというプレッシャーもありました。
当時はデビューと言っても、あくまでもアシスタントという立場でしたから。フォトグラファーとして独り立ちしたくて、26歳でスタジオを辞めて、まずは独立のための準備に専念しました。
もちろん、独立するというのは簡単なことではありませんから、スタジオを辞めた後は、電話営業をして「作品を見て欲しい」とアポを取り、お仕事をいただくために奔走する日々…100件電話をかけて1件アポが取れればいいという状況の中で、少しずつお仕事をいただけるようになってきたので、27歳の時に独立することができました。
ありがたいことに、お仕事が増えてくると、お客様を紹介してもらえたり、大手商業施設のインテリアカタログを担当させてもらえたり、フォトグラファーとしての仕事に恵まれてきました。心が自由に解き放たれる時 僕は夢中でシャッターを切ることができる
動かないものを撮り続けてきたので、少し違う分野も撮ってみようかな? と思うようになったのがきっかけです。
というのも、雑誌の撮影に携わった時に、モデルさんが歩いているシーンを撮影したり、風景を撮影したりして、少し気持ちが楽になったんです。
物撮りは「狙い撃ち」なので1枚撮るために根を詰めすぎてしまうこともありますが、人物撮影というのは、思いのままシャッターを切れるという「開放感」のようなものを感じました。そこから人を撮るということにも興味を持つようになったんです。
ネットで調べてスクールフォトの募集を見つけたのがきっかけでした。
スクールフォトのお仕事はリンクエイジさんとだけのお付き合いで、今年で8年目です。
私にも子どもが3人いまして、父親としてたくさんの写真を撮ってきました。当時は子ども達の子ども会活動にも積極的に参加していましたし、子ども好きということもあって、スクールフォトの撮影にワクワクしました。
写真の時代はフィルムからデジタルへ
それでも1枚の重みを変えてはいけない
うちの子を撮る分には、照れ臭いなんて気持ちもありつつ、自由気ままに撮影できますが、仕事となると「お客様にお渡しする写真」になりますから、少し求めるものが違うかもしれません。
特に物撮りの写真なんかは、常に合格点以上のものを撮り続けないといけないという責任感があるので、プライベートとは全然違います。
プライベートでは、長女に赤ちゃんが生まれる予定で、私ももうすぐおじいちゃんです。
父親として子ども達を撮ってきましたが、これからはおじいちゃんとして撮れると思うと、楽しみも増えるんですよ‼︎
他の分野と比べて難しいのは、目線が自分の高さではないということです。物撮りは、こちらで高さや照明を調整できます。でも、スクールフォトは「子どもの目線になること」が大切で、立ってばかりいると、子ども達が見あげてばかりになってしまいます。
当たり前のことですが、しゃがんで目線を合わせたり、子ども達の行動を良く観察したりしてカメラを構えています。
それから難しいことと言えば「シャッターのタイミング」です。
子ども達って本当に自由なので、初めの頃は、どこでシャッターを切ればベストなタイミングなのか自信がありませんでしたが、今では振り向くタイミングなど、一瞬の動作が予測できるようになってきたので、より面白いなと思います。
デジタルカメラになって15年くらい経ちましたが、フィルムカメラの時代の「物撮り」というのは、何時間もかけて粘って撮ったんです。フィルム代もかかるし、無駄な撮り方はできない。「いいものを撮ってきてね」と言われると、限られた時間と予算の中で1枚1枚を大切に撮ってきました。
ずっと撮っていると、出来上がり写真が頭の中に出てくるんです。「大丈夫、撮れている」という感覚。これは経験がそうさせているのかもしれませんが、自然と頭の中に描けるようになるんです。
でも、デジタルになってからは、たくさん撮って必要な写真だけ残すなんてことも増えてきて…1枚1枚の重みが変わってきたのかもしれないなと思うようになりました。
簡単に削除できる時代になったけれど、1枚の大切さを分かった上で、丁寧に撮ることを忘れてはいけないなと思っています。
子ども達との「距離感」に気をつけています。親近感を持たれすぎると距離が近すぎて自然体の写真が撮れないので、少し距離を置いて撮影しています。
本心としては、心の距離も近づけたいけれど、入り込みすぎちゃうと、卒園の時も涙が出ちゃって…それではもう全然撮れないんですよ。「あの時は小さかったのに」とか、小さな頃のシーンが蘇ってきて、感極まって泣けてきちゃうんです。
本来は保護者にたくさん購入していただける写真を撮ることが正解なのかもしれませんが、保護者が買うか買わないかというところを気にしすぎるのではなくて、「このシーンを撮ってあげたい」という写真を撮り続けています。
写真は人生 「僕だけが知っている瞬間」を撮る喜び
私にとって写真は「人生」ですから、死ぬまで写真を撮りたいと思っています。
趣味で風景やお花の写真も撮っていますが、仕事も趣味みたいなもので…きっと、この先も私は写真を撮り続けると思います。
写真って不思議なもので、同じようなシーンでも撮る人の年齢や人生経験によって違うものが撮れるんです。どんな人生を歩んできたか、どんな想いでカメラを構えているか、それらが少しずつ変化していくことで、ファインダーから見えている世界に変化が生まれてくるんだと思います。
父親になったり、おじいちゃんになったり、僕自身の人生も変化していく中で、その変化を楽しみながら、生涯をかけて写真を撮り続けたいと思っています。
スクールフォトの現場で感じることなのですが、「ただただ好きという気持ちだけで撮っている」これが僕の愛です。仕事として合格点を取るのではなく、1枚1枚が愛おしくて、夢中でシャッターを切っているんです。
僕が撮る「瞬間」は、誰も見つけていない子ども達の大切な一瞬で、他の人は見ていない特別なもの。「今の瞬間、絶対僕しか見ていない!!」という瞬間を残してあげたくなるんです。
還暦を迎えるからこそ撮れるものもあると思いますし、この先70代、80代と歳を重ねていくとどんな写真が撮れるのか楽しみです。
「写真は人生」と話す鈴木さんの姿は、とても凛々しく、これまで写真家として生きてきた自信と写真への愛に溢れていた。
時折、目頭を押さえながらも、その眼差しは優しく、写真に向き合う真摯な姿勢は、彼が人生を丁寧に生きてきたことを物語っているのだろう。
優しさと愛に満ちた人生の中で、これからもカメラと共に歩んでいく。
Interviewee by Masayuki Suzuki
HP:https://pro-foto.jp/impress/
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Interview, Text by Miya Ando
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Photo by Takashi Natori