幼稚園・保育園・認定こども園・小学校他における写真や映像の撮影・販売を行うリンクエイジ株式会社(本社:大阪府大阪市、代表取締役社長:藤田 俊)は自社で運営する『memoridge(メモリッジ)』にて「保護者はカメラ目線の写真を望んでいる?自然な姿を望んでいる? 学校写真(スクールフォト)において、家族がほしい写真と園が届けたい写真」について調査を行いましたので、その結果をお知らせします。
弊社は、2022年4月、【調査レポート】学校写真において家族がほしい写真はどんな写真?という、「保護者の望む写真はどのようなものなのか」という視点にフォーカスを当てた調査を実施しました。本調査では、それを受け「では、園が保護者に届けたい写真とのギャップは何か」また「そのギャップを埋めるためにはどのようにすべきか」という観点で『memoridge』の会員様にアンケートを実施しました。さらに、そのニーズに沿った写真を撮影するため、当社フォトグラファーへアンケート結果を共有しました。
本調査は、幼稚園・保育園・認定こども園に通われているお子様の保護者の方々を対象に11項目からなるアンケートを実施するもので、計464名から回答を得ました。 弊社の考察も交え、調査内容をレポートいたします。
第3回
【リンクエイジの見解】
人間は忘れていく動物である。そして写真は生ものである。43.6%の保護者はすぐに写真を見たくて写真販売サイトに集まる。そして、32.2%が行事が見たい、さらに、20%の日常保育が見たいということがトリガーとなっているように読み取れる。
まず、可能な限りのスピード感をもって保育を伝えるということは、園側にとっても願いであるとよく伺うので、園と保護者の利害関係は一致しているととれる。年度頭のイベント、入園式、春の遠足、4月中の日常保育をいかに早く掲載できるかが保護者の満足度向上のキーになるだろう。
担任の先生方の立場に立つと、4月初旬の混乱期に特に乳児や3歳児の日常保育を撮影・販売されては困るという声もあるだろう。初めての集団生活の場となる園児も多いことだろう。子ども達は泣いて家に帰りたいというだろう。しかし、それは果たして表現してはいけないものなのか。しない方が良いのだろうか。弊社としてはそこに強く異論を申し上げたい。
その時にしか撮れない必要な瞬間、伝えるべき育ちであると断言する。
保護者の立場に立とう。とりわけ第一子の場合、朝子どもと離れることに不安を感じるだろう。だからこそ園の中での様子は気になるものだ。だからこそシンプルに伝えるべきだと言える。もちろん不安を煽るためではない。園と保護者での二人三脚で子どもを見守る体制をより強固にするためだ。母子分離によって泣く子どもは立派に育っている。そして親子の信頼関係の構築(アタッチメント・愛着の形成)ができている証拠だ。しかし多くの保護者はそれを深く理解できていない。本来それは、それまで家庭内で保護者が深い愛情をこめて子どもを見守り育ててきた証拠ではなかろうか。
園の立場に立とう。担任の先生としては、混乱の中で一人ひとりに目をかけきれないことが保護者に不安を与えるのではないかと感じることもあるだろう。なので感覚的には、撮影・販売されるのは気が重いかもしれない。
以上を併せ最後に弊社の考えでまとめる。4月の日常保育の写真は、アタッチメントをエビデンスに保護者の子育てを認めるツールであり、それぞれの親子から信頼を得うるツールであり、親子にとっては一生に一度しかない大切なシーンの記録であると考える。担任の先生から保護者に対して「ありがとう。これからは園と一緒に愛情を注いでいきましょう。」と保護者を認め、ありがとうを伝え、絆を深めるツールとして写真を使ってほしい。
【リンクエイジの見解】
保護者側の写真活用は、アナログな保管が多いことがわかる。
全体の67.8%を占める「アルバムやケースなどでの保管」は、手元に届いた紙焼き写真を慣れた方法で手軽に整理・振り返りができるところにメリットがある。日々忙しくされる子育て世帯の保護者のライフスタイルを考慮すると納得の結果である。ただしこれは、紙焼写真出の提供の比率が圧倒的に多いことに依存していると読み取って間違いないだろう。
一方園としては、ドキュメンテーション、ラーニングスト―リー、ポートフォリオなど、育ちの可視化を促進する手法もメジャーになってきた昨今であればなおさら、「お子様やご家族とのコミュニケーション」:14.8%をもっと増やしてほしいと願うのではないだろうか。
そして、これからの時代、データでの販売・情報の共有が主流になっていく必然を考慮すると、保護者も園も、セキュリティへの理解、ITリテラシー、モラルは必要になるだろう。
【リンクエイジの見解】
「お子様がカメラ目線でポーズを取っているような写真」「お子様が遊びに夢中になっていたり、お友達と遊んでいたりする自然な写真」 の「よく購入する」に1%弱の差が見られた。保護者は結論両方ほしいということだ。「カメラ目線でポーズをとっているような写真」は保護者からすると、純粋にかわいいし欲しいと思うはずだ。そして、それを撮影するフォトグラファーとしても「ポートレートのように美しい写真・綺麗な写真・フォトグラファー冥利に尽きる写真・売れる写真」と捉えられる。
しかし、園及び弊社の立場に立つと、これは表現したい写真ではない場合の方が多い。極論、教育保育の要素が含まれていない写真であると捉える。一方、「お子様が遊びに夢中になっていたり、お友達と遊んでいたりする自然な写真」について考察すると、「保護者も求めており、そして園も求めており、さらに弊社も必要だと考えている写真である」と言える。
保護者ニーズに応えつつ、教育保育的要素を備えることがゴールになると考えると、折衷案に近くなるかもしれないが、「カメラ目線でポーズをとっているような写真」と「お子様が遊びに夢中になっていたり、お友達と遊んでいたりする自然な写真」をバランスよく織り交ぜて撮影する事が必要になるのではないだろうか。多くのフォトグラファーは「カメラ目線でポーズをとっているような写真」は撮影できるはずだ。しかし、教育保育的要素をどれだけ理解できているか、時間の流れの中で気付いてシャッターを切れるかは大きく差が開くだろう。
また、「お子様の表情だけではなく周囲の様子(遊びの内容、先生やお友達とのかかわり)も分かるような写真」は大方が「ほしい」意向が強い。
第2回のアンケートでも述べたが、例えば、外遊びや運動遊び=健康領域/絵画や制作=表現領域これらは撮影シーンに保育環境(人的環境含む)をおさめることで表現できる可能性が高まるはずだ。人間関係(先生やお友達とのかかわり)、環境を1枚のカットに含めるようにフォトグラファーは努めるように徹底していくことがスクールフォト全体の課題であると言っても過言ではない。
【リンクエイジの見解】
上記アンケートでは「行事(ハレ)」と「日常(ケ)」のニーズ差を確認するために意識的に数値化した。育みたい資質・能力、各種指針、保育の連続性、保幼小への架け橋プログラムなどから想像するに、ケの延長線上にハレがあると捉えてよいのではないか。時間軸の存在しない保育は存在せず、日常の育ち時間の積み重ねが発表の場にあるはずだ。となると、連続性を持った表現が必要になる。そして、保護者にはハレの日を感動する権利がある。
上記の通り「保護者が普段見られない日常の保育中の様子の写真」を大半の保護者が望むのには、ハレの日を我が子の育ちのお披露目の場として確認して感動するために、子ども達の多くの感情の揺らぎや五感で体験してきたことの瞬間を記録して留めておきたいという、愛ゆえの想いが感じられる。
写真から飛躍するかもしれないが、この想いは保護者育成の観点でみても効果を期待できるかもしれない。育ちを表現できる日常の写真を撮影する。
→各園の望む子どもの姿や身につけて欲しい力の説明を保護者に行う。
→各園の望む保育の在り方や理念的なものの説明を保護者に行う
→そこに紐付いた現場の保育の具体的アプローチの説明を保護者に行う。
そのような流れができれば、園の願いや方針は一層保護者の理解に寄り添うことになり、ひいては保護者の養育態度の育成にも寄与するのではないだろうか。
その他にも様々なご意見、叱咤激励、撮影方法やシステムの改善改良要望を多く頂きました。一つずつ良い言葉だけで満足せずに改善を早急に進めて参ります。
ハレ(行事)とケ(日常の保育)のバランスを取り、時間軸を意識した撮影・販売機会の創出が必要である。そして、フォトグラファーは、育ちの要素を理解する訓練が必要である。
・行事(ハレ)
アップ目で撮影+発表会や運動会、ハロウィンのような特別な衣装を着ているようなイベントは、事前リハーサルなどで個人写真(スナップ+ポートレート撮影。つまりカメラ目線でポーズを決めた写真である)を撮影すれば保護者ニーズに応える写真は撮影できる。そして、スケジュールや各クラスの動き方を把握しつつ、都度変わる現場の状況を当たり前のものとして、そこにあわせられる柔軟な対応が必要となる。
・日常系(ケ)
数人ずつ引きの様子をメインに撮影+遊び込んでいる個人または集団の様子を保育環境と共に撮影するのが望ましい。ただしフォトグラファーは、普段の保育において日常的な人的環境ではないため、存在感を消して空間に馴染む必要がある。そのため、フォトグラファーには訓練が欠かせない。また写真のクオリティをどう見るか、日常系の写真の目的をどう置くかによっては、これまで行事の写真においてご法度と捉えられがちだった撮り漏れや枚数差の許容も必要と捉えてもいいのかもしれない(撮り漏れや枚数差よりも優先して表現するものがあるとも考えられる)。
保護者にとって日常保育は、「行事を感動するための準備であり積み上げである」
園にとって日常保育は、「日々の育ちの連続性の記録である」
そうなると、日々の育ちを定期的に見る必要、順番に見る必要があると考えられる。しかし、写真には音声や動きはないので不完全なものである。そうなると必然的に言葉・会話が必要になる。親子でコミュニケーションをとる時のツールとして写真を使う場合を考えてみよう。自分の子どもが写っていれば「これは何してたの?何を作ってたの?どんな気持ちだった?」と保護者 も問いやすいし、子どもも具体的事象を振り返れるため会話のキャッチボールは弾むだろう。このコミュニケーションは、自分の子どもが写っていない写真でも、更には人物の映っていない保育環境のみの写真であっても成り立つのではないだろうか。
例えば、園庭の写真。
「いつもどこで遊んでるの?好きな遊具は?」と問えるだろう。
例えば、砂場の写真。
「私が小さかったときはよくお山を作って遊んだよ。そこで川を流して・・・・」と自分の過去と重ね合わせる語りも可能だろう。
語る必要性、語れる仕掛けとして保護者に写真を素材として提供することができれば、教育が共育と呼ばれることがあるように、皆が共に育つことができるのではないだろうか。言葉も写真も不完全であるが故に素晴らしい。両方あわせて伝えるためのツールにしてほしい。言葉ではイメージしきれない姿を写真で表現することが必要だ。あわせて写真だけでは伝わらない子どもたちの興味関心、写真に写った前後の時間にどんなことがあったのかを、信頼関係のある担任の先生、そして最愛の保護者の温かい言葉で添えていただき、全ての愛を皆が明日を生きる力に変えていってもらうことこそが、写真屋の夢見る未来である。
写真、ネット販売、ICT他は全て「全ての愛を力に変える」ツールではないだろうか。それらにより業務の効率化をはかりつつ、空いた時間でいかに子ども達と各家庭を見つめることができるか。その先に大切なものがあるのではないだろうか。
どれだけ便利に時代が進んでも、保育において、ひいては人が生きるということにおいて、大切なものは最終アナログの中にあるように思えてならない。
※本内容を引用される際は、以下のご対応をお願いいたします。
【調査元】
リンクエイジ株式会社