爽やかな笑顔が印象的な富松卓哉さん。洗練されたセンスとワイルドさ、その両方を持つ魅力的な人だ。過去に「感情のないロボット」だったと語る彼は、ある国との出会いで再び感情を取り戻し、豊かに生きることの意味を知ったという。彼が写真を撮りはじめた理由とは…その思いの全てを語ってくれた。
写真に魅せられた学生時代 旅先で撮った写真で個展を開いたことも
父親が一眼レフカメラを持っていたので、子供の頃からカメラは身近な存在でした。
特に印象に残っているのは、小学生の頃。妹のピアノの発表会の時に、父のカメラを奪い取って撮影したんです。見様見真似で撮った写真でしたが、今思うと、構図も悪くなく、なかなかいい写真だったと思います。
その後はカメラとは特に縁がありませんでしたが、大学に入ってから授業でカメラが必要になって。それから写真が好きになっていったので、20歳のお祝いにと、父が一眼レフカメラをプレゼントしてくれました。
このカメラとの出会いが、僕の人生を少しずつ変えていくことになりました。
当時の僕は大学で建築学を学んでいました。建築模型を作っては写真を撮って、その写真を使ってプレゼンをするというのが日常になっていて。カメラはいわば”相棒”のような存在でした。
旅先で写真を撮ることも大好きで。友人と旅に出ることもありましたが、僕が写真に夢中になりすぎるので、振り返るとみんなが居ないなんてこともあって(笑)
イタリアやスペイン、フランスなど、ヨーロッパを周遊した時は、父の買ってくれたカメラを持って旅に出ました。
当時は、フォトグラファーになるとは思っていませんでした。
会社員時代に”写真展”を開いたこともありますが、その時ですらプロになるなんて思わなかったのです。
僕は転職を経験しているんですが、1社目を辞めた後に時間ができたんです。特にすることもなかったので、とりあえずヨーロッパ旅行で撮った写真を展示できればいいな〜くらいのノリで開催したんです。
渋谷のカフェバーで開催したのですが、お客様の中には音楽や芸能関係者がいらっしゃったようで、僕の写真を気に入ってくださった方々から、ライブやモデルの撮影してみないか?と声をかけてもらうようになりました。
とはいえ、僕は会社員。本格的に写真家になるなんて夢にも思っていませんでした。
「やりたいことを先延ばしにする人生はやめよう」
僕の父は銀行で役職に就くような人で、姉も妹も、大手企業の会社員。僕自身も当たり前のように、同じ道を歩むものだと思っていました。
ところが、写真展を通して、たくさんの出会いがある中で、自分の好きなことを仕事にしている人たちがキラキラして見えるようになって。こんな生き方もあるのだと、心動かされていきました。
その思いを父に相談しましたが、「自分で責任を取れるようになってから好きなことをやりなさい」と言われてしまいました。
今思えば、それは父親として当然の言葉だったと思いますが、僕の心には深く残ることになって……。まずは目の前の仕事で一人前にならなければと思っていました。
ところが、僕の人生を根本から覆すような出来事が起こったんです。
「父との別れ」と「原因不明の体調不良」です。
僕が24歳のとき、父は54歳という若さで他界しました。父の葬儀の時に、いろいろな方から声をかけていただいて、僕が今まで知らなかった「父の話」を聞きました。特に印象に残っている話が、父自身にも、これからチャレンジしたいことがあったということ。
「親父も、まだまだやりたいことあったんだな」と思うと、居た堪れない気持ちになったことを覚えています。
その後、僕は体調を崩しました。原因不明の腰痛。長時間座って仕事をしていたので、腰を痛めたのかな?と思っていたのですが、原因不明となると治しようもなくて…。
この体調不良をきっかけに、退職することを決意しました。26歳の時でした。
その後、治療が見つかったので、半年ほどリハビリの生活に。この期間、色々なことを考えたんです。 この先の人生で “いつか” やりたいと思っていたことがやれないまま人生が終わってしまうことに不安と恐怖を覚えました。
その頃です。“やりたいことを先延ばしにする人生はやめよう”と決意しました。
それで思い切って”世界一周”に出ることにしたんです。
ワーキングホリデーのビザとカメラを持って、最初に訪れた国がニュージーランドでした。
この国との出会いこそ、僕の人生を大きく変えてくれることになります。
ニュージーランドは、自然に恵まれていて、人の心が豊かに満たされている国だなと思いました。「世界の幸福度ランキング」でトップ10に入るほど。
島国だし、南半球の中でも日本と同じような緯度にあって、春夏秋冬の四季も感じられる。日本と似ているところもあるのに、何かが違う… 最初は、”なんでこんなに幸せそうなの?” と嫉妬にも近い感情でしたが、知れば知るほど、ニュージーランドの魅力を感じるようになりました。大きな変化がありました。
僕は東京生まれの東京育ち。何でも手に入るような都会で育った僕にとって、ニュージーランドは真逆の環境でした。
少なくとも、日本にいた頃の僕は、社会の中で自分の気持ちを押し殺すこともしばしば。
もちろん、日本という国の中で、豊かに暮らし、幸せを感じている方もいらっしゃると思います。ただ、僕自身は、自分の「幸せ」や「人生の豊かさ」について、考えたり、感じたりする余裕がなかったので、何か大切なものを見失っていたような時期だったんです。
何もない田舎町で、野菜を収穫しながら過ごすような日常の中で、心にゆとりが生まれることを実感しました。それは、心の中に栄養が行き届いて、凍っていた”感情”が再び溶け出すような、そんな感覚でした。心が満たされるって、こんなにも幸せなことなんだと。
そこからです。最初は2~3ヶ月したら他国へ移動しようと思っていたのに、ニュージーランドの魅力から離れられなくなって。
自然も、人も、僕が美しいと思うものを撮り続けました。
結果的に、ニュージーランドを撮る写真家として写真展を開催したり、ガイドブックの出版をしたり、様々なプロジェクトに参加させていただくことになって、今へと続いています。
憑依型のフォトグラファー!? 保護者の見たい世界を撮るということ
知人から紹介してもらいました。当時はコロナ禍。ニュージーランドでのプロジェクトが停止してしまい、緊急帰国を余儀なくされたので、今までの活動も思うようにできない時期でした。
フォトグラファーとしては駆け出しの身ですから、色々な現場で経験を積めることも大切ですし、自分の活動とバランスよく働くためには、午前中の撮影が多いスクールフォトの働き方にも魅力を感じました。
むしろ僕の得意分野だなと思いました!! ポーズを取らせるような写真よりも、自然な表情を撮る方が好きなんです。
子どもたちは、そこにいるだけで”いい表情”をしますから、僕はそれを撮るだけ。いい顔をしているんだから、いい写真が撮れるに決まってるじゃん!! という感じです。
意識しているポイント……技術的なところで言うと、特にはないんです。
例えば、車の運転の時に、ウィンカーを出したり、ブレーキをかけたり、細かなことでも体が自然と動くように、写真を撮るときも、勝手に身体が動いていくようなイメージです。撮りたいものが目の前にあると自然とシャッターを押しているんです。
とはいえ、子どもたちが自然体でいてくれないといけませんから、子どもを緊張させないことも大切かなと思います。あくまでも自然に。
「こっち向いてね〜」とか話しかけたら、子ども達にとっては邪魔になることもありますからね(笑)
その場と一体になるという感じです。
「憑依する」という言い方だとどうでしょう?? いい意味で”我”を消して撮影するわけです。
スクールフォトの分野だと、”保護者”に憑依しているイメージです。はじめに写真を選んで購入してくださるのは保護者ですから、彼らだったらどんな写真が欲しいのかな?? という視点を大事にしています。
何かに真剣に取り組む姿、思い切り楽しんでいる姿、必要であれば涙のシーンだってあっていい。
自分の目線ではなく、保護者はどんな世界を見たいんだろうということを感じていくと、いい写真が撮れるなと感じています。
「フラッシュは大丈夫?」とか「気をつけた方がいいことはありますか?」など、気にかけることは必ず確認しています。そこがクリアになれば、シャッターを押す準備万端というわけです。
コミュニケーションという意味では、「素の自分で接する」これに尽きると思います。僕の性格かもしれないですが……(笑)
自分を取り繕ってしまうと、時にそれが“嘘”になってしまう。嘘なく接している人の方が信頼できるかなと思うので、僕自身も自然体でいることを心がけています。
言葉よりも明確に伝わる愛が「写真」にはある
「愛なんてわからない」というのが正直なところです。
言葉で簡単に説明できるスケールの話ではないですから(笑)
でも、一つだけ言えることは、「自分以上に大事にできる」ことかなと思っています。
僕には子どもがいません。まだ自分を超えるものに出会ったことがないんです。
でも、姉や妹を見ていると、自分たちの子どもを、自分以上に大事にしている。そこには「愛」があるんです。
保護者の皆さんも、同じようにお子さんのことを愛している。
そう思うと、撮影にも気持ちが入ります。
そう、僕が撮った写真が”家族をつなぐ一枚”になるかもしれないですし!!
というのも、僕の父が病気になって、もう先が長くないと分かってから、家族写真を撮ったんです。僕が撮りました。その写真は、今でも家族をつなぐ大切な一枚になっているんです。
父が他界した後に生まれた甥っ子姪っ子たちは、父のことを知らない。でも写真があれば、会ったことのない”おじいちゃん”を知ることができますし、撮影から10年以上経った今でも、家族の会話のきっかけになることだってある。
子どもたちの写真ならなおのこと。子どもたちが大きくなった時に、「これだけ愛されていたんだぞ〜」って、写真を見てもらいたいです。
口に出すよりも明確に伝わる“愛”がそこにはあると思います。
「撮りたいものを撮れる人生」。そういう生き方ができるとうれしいです。フォトエッセイなんかも出せるといいな。
そして、ニュージーランドと日本の“架け橋”になりたいです。どちらも僕の大好きな国ですから。
1人でも多くの人が心から”幸せ”を感じられるよう、僕がニュージーランドから教わった”大切なこと”を伝えていきたいなと思います。
凍りついた心が溶けた瞬間
彼は「感情」の芽生えを実感し、「幸せ」という名の花を知った
海の向こう側から見た日本
その目には何が写るのだろうか
心から幸せだと思えるために
彼の目線は、遥か先を見据えている
Interviewee by Takuya Tomimatsu
https://www.tky15lenz.com/
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Interview, Text by Miya Ando
miya_ando
Photo by Tomoshi Hasegawa