落ち着いた表情で受け答えをしてくれたのは神谷泰弘さん、65歳。寡黙な印象だが、写真のことを語る神谷さんは、とても誠実で、フォトグラファーという仕事に対する真摯な姿勢が伝わってくる。フォトグラファーとして築いてきた45年というキャリア。確かな技術と人間力で、フォトグラファー仲間からの信頼も厚いという神谷さんに、これまでのフォトグラファー人生を振り返ってもらった。
写真家の巨匠が活躍した時代… 華やかな広告業界に憧れたあの頃
高校の修学旅行で写真を撮ったことがきっかけでカメラに興味を持つようになりました。
旅先で使っていたのは、家庭用のレンズ一体型のコンパクトカメラ。両親から借りて修学旅行に持って行きました。
友だちを撮ったり、旅行の様子を撮ったりしただけですが、出来上がった写真を見てみたら、「まあまあ良さそうだな」というのが感想でした。
当時は進路を考えるタイミングでもあったので、「カメラ」だったら自分もできるかもしれないと思って、写真の専門学校に進学することにしました。
今から40年くらい前かな……当時の写真業界はとても元気だったんです。
篠山紀信さんなど、大先輩たちが活躍されていた時代で、写真集なんかもたくさんありました。中でも広告という華やかな世界は、みんなの憧れでしたし、僕も挑戦したいなと思うようになっていました。
ただ、思い切って飛び込んではみたものの、実際にやってみると難しいというのが写真の世界。若い頃は苦労もたくさん経験しました。
専門学校を卒業した後、大阪の広告の制作プロダクションに入社して、そこから広告写真を撮り続けてきました。
当時、僕が拠点としていた大阪は、東京と違って雑誌社も少なく、モデルさんを撮影するような機会も少ない環境。人物を撮るなら東京に出るのが有利だった時代、少ない機会でしたが広告の現場で人物撮影の経験を積めることは貴重でした。
広告撮影現場で、アシスタントをして経験を積んだ結果、メーカーのフォトグラファーとして直接採用してもらえることになって、その後10年半勤めました。毎日のように撮影案件があったので、商品撮影は鍛えられたと思います。今はフリーランスで働いています。1カットの重みを感じて 自分の眼を信じて撮るシノゴカメラとの出会い
当時はフィルム写真の時代。デジタル写真の世代の人たちには驚きかもしれませんが、ビューカメラ(4×5インチのシートフィルムで撮影)と呼ばれる、布をかぶって撮るような大型のカメラを使っていました。何百枚と撮れるデジタル写真と違って、大型カメラは10カットを撮るだけでも、大変な作業なんです。10枚の重みが今とは違ったように思います。
フィルムといっても、使用していたのはロールのフィルムではなく、板のフィルム。板一枚につき一枚しか写真が撮れないんです。アシスタント時代はというと、そのフィルムのホルダーを準備するのも大切な仕事でした。撮影のたびに、40〜50枚ほど準備していたように思います。とにかく時間がかかることです。
広告写真は商品の撮影だけでなく、セットを組んだシーン撮影なんかもあります。セットの組み立てに何十万、何百万円とコストがかかるので、次のセットに転換する前に、確実に今の撮影シーンにOKが出ないといけません。セットを解体する前にフィルムの現像をして、写真の出来上がりを確認するんです。
当時は現像に2時間もかかっていましたから……現像所の人がフィルムを取りに来てくれて、写真の出来上がりを確認するまで「待つ」というのも大変でしたね。
「写真OK!!」となると、その後は、ドタバタとセットが解体されて新しいシーンが作られていく。そこからまた撮影が始まるのです。半日もかけてようやく1シーンが撮れるペースですから、大変な時代だったと思います。
当時も一眼レフはありましたし、人物やスナップなどの撮影に大きな変化はありません。
ただ、今は画像の修正もソフトでできる時代ですから、撮影にかける時間は少なくなった分、写真の修正・編集に時間がかけられるようになりました。
特に、商品撮影は”ゆがみのない写真”が必要とされます。大型カメラは、ゆがみのない写真が撮れるという点で優れていますが、撮影に時間がかかる。今のカメラは、ゆがみが生じますが、撮影時間は短くて済みます。“ゆがみ“についてはソフトで編集ができるので、今の技術の方が効率的に、かつ細かなところまで商品の魅力をしっかりと伝えるお手伝いができていると思います。
撮り直しができないスクールフォト だから楽しい
フリーランスになってからです。僕のホームページの写真を見てくださったリンクエイジの担当者から連絡がありました。スクールフォトは未経験、まるで新人ですから、お受けするか悩みましたが、担当者の熱意にやられました(笑)
我が子の撮影をしていた経験もありますし、かわいい子どもたちを撮影できるというのもいいなと思って、お引き受けすることにしました。
園に行くとね、「おじいちゃん」なんて呼ばれることもあるんです。とても楽しい現場ですよ。
広告写真のように作り込まれた世界ではなくて、スクールフォトは一瞬をどうとらえるかが問われる仕事。やり直しができないという緊張感がありますが、それこそが魅力だなと感じています。
「いい顔をしてるな〜」なんて写真が撮れると、僕も嬉しい。素晴らしい現場に出会えたなと思います。
僕はあまり積極的にコミュニケーションを取りに行くタイプでもないですが、「礼儀正しく」ということは常に心がけていて、先生や子どもたちに安心して受け入れてもらえたらいいなと思っています。
それから、「”写す”ではなく”撮る”」ということを意識しています。
“撮る”というのは、単に“写す”ことではなく、その場で起きていることを伝えられる写真を撮ることです。
広告写真なら商品にじっくりと向き合う、モデルの撮影なら「もう一度このポーズを!」なんて撮り直しのお願いもできますが、それができないのがスクールフォトの難しいところ……
子どもたちの表情は刻々と変わっていきますし、同じ表情、同じシチュエーションは二度と撮れません。
その瞬間を撮り逃さず、写真をいつ見返しても、その場で起こっていたことが思い出せるような”臨場感”のある写真を撮りたいと思っています。
技術的なところで言うと、アングルを工夫して、状況がわかるように撮ってあげるということです。
その場で起こっていることを伝えるためには、表情ばかりに気を取られていられません。顔だけの写真だと、今何をした?? というのが分かりづらいんです。
給食の時間だったら、少しでも食事が写るようにしたり、製作の時間だったら少しでも作品が写るようにしたりして、その場で何が起こっているのか伝わるように撮ることを意識しています。
もちろん、瞬間的にそのシチュエーションが変わっていきますから、「これだ!!」という時は、枚数を多めに撮ったりして、よく撮れたものを選べるようにするのもポイントです。
もちろん、自分のテクニックだけで解決できないようなこともあります。
例えば、運動会!! 子ども達にとって大切なイベントですから、絶対に撮り逃さないで!! とお客様からもご要望があります。
運動会の規模にもよりますが、複数のフォトグラファーと撮影に入ることが多いので、撮影前のフォトグラファー同士の作戦会議ときたら、それはもう超重要案件です。
リレーひとつにしても、スタート担当・コーナー担当・直線担当・ゴール担当など、みんなで手分けしてできるだけ撮り逃さないよう最善を尽くしています。時にはチームプレーで力を発揮しています。
これからもずっと…子どもたちのかわいい姿を残してあげたい それが何よりもの愛の形
僕の考える「愛」とは思いやりの心だと思います。誰かを思いやる心があると、あたたかな気持ちになれます。
スクールフォトを撮影する中で、僕自身がどんな時に愛を感じるかというと、子どもたちの美しい目に出会ったときです。大人にはない目の輝きがあって、とにかくかわいい。その様子を残してあげたいと思うんです。
白目の白さ、黒目の黒さ、にごりのない目はキラキラしていて、そんな表情の写真が撮れると、僕も幸せな気持ちになれます。
卒園式なんて、もう涙なしには撮影できません。子どもたちの瞳から流れる涙。それは、子どもたちの純粋な気持ちそのものです。
子どもたちのステキな表情を撮らせてもらえて、僕は幸せだなと思います。
65歳になって、子どもたちから見たら「おじいちゃん」のような存在です。
それでも、子どもたちに負けない体力づくりをしたいです!!
そのために、週に一度、武庫川の河川敷を5〜6kmを走るようにしていて、基礎体力を維持するようにしています。
先日も、六甲山ハイキングの撮影を担当したのですが、子どもたちが一生懸命に歩く姿をちゃんと撮ってあげたいですからね!! 僕も機材を持ちながら、子どもたちに負けずに元気に歩いて撮影してきました!!
園での撮影が「ジム」みたいになっていて(笑)
健康維持のためにも、スクールフォトは最高の職場かもしれませんね!!
これからも元気に撮り続けていきたいです!!
45年というキャリアがあるにもかかわらず、「スクールフォトは新人ですから」と笑顔で話してくれた神谷さん。 その姿から、神谷さんの謙虚さと誠実さを感じずにはいられない。
彼のまなざしは優しい愛に満ちている。 子どもたちの一瞬の輝きを撮ることで感じる「幸せ」こそ、彼が歩み続けてきた道で見つけた宝物なのだろう。
Interviewee by Yasuhiro Kamitani
http://www.kamisya88.com
Interview, Text by Miya Ando
miya_ando
Photo by Kenta Sagara,Erina Miyamoto