フォトグラファー ナカジマ サトシ さん
「撮影中に感極まって涙することもあるんですよ」と話すのは、物静かな印象のナカジマさん。実は彼、ロックバンド歴40年、趣味のロックバンドでベースを担当するベーシストの一面も持っている。彼が、なぜスクールフォトグラファーを目指したのか。この仕事に、確かなやりがいを実感しているナカジマさんに、スクールフォトグラファーの極意を聞いた。
はじまりは、写真好きの父が遺したカメラだった
亡くなった父がカメラ好きで、一眼レフが家にありました。小さい頃は、よく撮ってもらっていたという記憶が残っています。撮られるのはあまり好きではありませんでしたが、カメラは触ってみたいなという思いはありました。
でも、父にとっても大切なカメラだったんでしょうね。父が生きていた頃は、簡単には触らせてもらえませんでした。
「触ったらダメ」と言われるので、余計に興味があったのかもしれませんが、亡くなった後に、「もう触っても良いよね」と、父の遺したカメラを触るようになったんです。それがカメラとの出会いです。
そこから、プロのフォトグラファーになるなんて、誰も想像していなかったと思います。
絵を描くことが好きだったので、高校卒業後にデザインの専門学校に入学しました。でも、当時はバブルの終わりごろ、「売れるデザイン」ばかりの授業に疑問を感じるようになって、思い切って中退をして、アパレル業で仕事をするようになりました。長く勤めましたが、そのアパレル会社が廃業することになったので、転職することになり、30代になってから広告代理店の営業をするようになりました。人見知りなんですけどね、飛び込み営業なんかもして、それなりにやっていたと思います。
人生を変えた瞬間、僕は「音楽」の話がしたかったんだ
15年くらい前に父が亡くなりました。亡くなってすぐに遺影の準備をすることになり、近所の写真館を訪ねたんです。そうしたら、その写真館に、ギターが置かれていたんですよ。社長の趣味だというギターです。
実は私、中学生の頃からロックバンドでベースをしていたので、ギターやベースには目がないんです。ベースのコレクションも15本ほどあります。無類の音楽好きなので、話しかけずにはいられませんでした。
ただただ音楽の話がしたかったんです。「音楽やるんですか?」と社長に質問をしたところから、私のフォトグラファー人生が始まったと言ってもいいでしょう。
そうなんです。父が遺してくれたカメラの話もしましたし、ロック音楽という共通の趣味があったので、社長からは「バンドも手伝ってほしいけど、カメラがあるなら写真の手伝いもしてほしいな」と頼まれるようになったんです。
ベーシストというのは、ギターをしている人に比べると人数も少ないので、重宝されるパートなんです。当時から色々なバンドにヘルプで入って演奏していたので、あまり抵抗なく手伝いがスタートしました。
社長のバンドにヘルプで入るだけではなく、平日は広告代理店の営業をしながら、土日に写真館でスクールフォトやスタジオの手伝いをするようになりました。
手伝いをしながら、父の遺してくれた一眼レフを触って、自然とカメラを学んでいきました。
ある日、父親のカメラを持って沖縄に旅行に出掛けたら、それはもう綺麗な写真がたくさん撮れたんです。
今となっては、私にセンスがあったからなのか、それとも沖縄の景色が本当に綺麗だったからなのか、どちらかな?という感じですが、当時の自分としては、それだけで十分に、フォトグラファーの道へ進むための後押しになったんです。
作品としては残らない
だけど、一生に残る「物語」を撮りたい
当時はフィルムカメラだったので、1本のフィルムで24枚しか撮れない時代でした。
1泊2日の修学旅行に10本のフィルムを渡されるんですよ。二日間の修学旅行を撮影するのに、「240枚」しか撮れない。これは衝撃でした。
今のカメラだったら、1時間で240枚撮ったりしますから、当時は1枚1枚の狙い方が違ったと思います。
そうですね。だからと言って緊張して撮れないということはありませんでしたよ。それが当たり前の時代でしたから。そういう意味では、スクールフォトグラファーとして鍛えられた時代でしたね。
でもね、スクールフォトは、どんなに良い写真が撮れても、フォトグラファーの作品ではないんです。フォトグラファーに著作権はありませんし、あくまでも、お子さん達の人生の中に残り続けるものなのです。
だから、フォトグラファーの我を出さずに、1枚1枚、ありのままを撮ることが大事だなと思っています。
1枚の写真の中でも「ストーリー」が見えるような写真が撮りたいなと思っています。
撮影したのはワンシーンかもしれないですが、その前後には子ども達それぞれに物語があります。その物語も伝わる写真を撮りたいですね。
そのためには、いつまでも新鮮な気持ちで子ども達を撮りたいと思っています。経験が増えると撮影パターンが出来たりしてきますが、私はあえてパターンを持ちたくないと思っているんです。
目の前で起きていることは、子ども達にとってはじめての瞬間ばかりですから。撮影するフォトグラファーも同じ気持ちで撮ってあげたいですよね。経験を積んで技術的にできることは増やしたいですが、いつまでもその気持ちを忘れずに撮りたいと思っています。
スクールフォトグラファーの極意
こだわりは臨機応変に「自然体」の子ども達を撮ること
社長は我々スクールフォトグラファーのことを「代写屋さん」と呼んでいました。
お子さん達を撮影するなら、ご家族や先生が撮影する写真に勝るものはありません。子ども達が自然体でいられる人たちですから、撮れる写真も自然体の良い写真。それを我々スクールフォトグラファーが代わりに撮らないといけないわけですから、とにかく「自然体」の子ども達を撮れるようにすることが大事なのだと教わりました。
私は独身で子どもがいません。親になっていないので、親の気持ちを経験したことがないけれど、その分、いつまでも「子ども」の目線を持っているのかもしれません。
あえて子ども達の輪に入ることはありませんが、同じ目線でいたいなとは思っています。
それから、園が作り出した雰囲気を大事にしたいと思っていて、その中で生まれる「自然体」を撮りたいと思っています。ですから、園が保育で大切にしていることは何なのかを知るように心がけていますし、先生たちが子ども達にどのように接しているのかも参考にするようにしています。園によって保育や教育環境も様々ですが、その違いが子ども達の表情に出ていたりするので、不思議だなと思いますね。
スクールフォトは難しいと思います‼︎全ての撮影要素が集まっている、それがスクールフォトだと思います。
女子プロゴルフの撮影もしますが、スポーツには動きがあるから、ある程度先の動きが読めるんです。でも、自然体の子ども達はそうはいきません。次の瞬間何が起こるか分からないので、動きのパターンが読めないんです。
子ども達の動きだけではありません。明るい屋外で外遊びを撮影していたのに、「今よ‼︎お昼寝の様子も撮って‼︎」と先生から声が掛かり、突然暗い部屋に入ることもあるんです。これはフォトグラファー泣かせなんですよね。でも腕の見せ所でもある。
だから、どんな状況でもシャッターチャンスを失わないように、臨機応変に対応できる力と、それに応えられる高性能なカメラがないと色々なシーンを撮ってあげられないなと実感しています。
そこに居るだけで愛に溢れている存在を撮る
数年前、母も亡くなりました。その直後の参観日の撮影は、グッとくるものがあったんです。保護者の優しい視線の先には、伸びやかに活動をする子ども達の様子がある。幼かった頃の自分と母の姿が重なって見えて、カメラを持ちながら涙を堪えました。
子ども達ひとりひとりが、家族や先生、お友達、たくさんの人に愛されているんですよね。
私が写している子ども達というのは、そこに存在しているだけで愛に溢れている存在なんです。その愛を写す。
そう思うと、スクールフォトの現場というのは、愛を感じられる場所だなと思いますね。
こういった質問を受けると、53歳という年齢になって、これからのことを考えないといけない年齢になったんだなと思いますね。
フォトグラファーとしては、この先も続けていきたいと思っています。リンクエイジさんには、素敵な先輩方がいますから、先輩方のように、歳を重ねても撮り続けていきたいですね。
きっと、写真も音楽も、その年齢にならないと表現できないことがあると思いますから、ロックバンドもフォトグラファーも、これからも続けていきたいと思っています‼︎
もしもロックバンドをしていなければ、スクールフォトグラファーを目指していなかったかもしれない。いくつもの偶然が重なり、フォトグラファー ナカジマ サトシが生まれた。
ベーシストもフォトグラファーも、決して目立つものではない。でも、確かな技術力と表現力がなければ、主役を支えることはできないだろう。
人生という物語を生きる子ども達が輝く瞬間、その大切な一枚を残すために、今日も彼は、愛ある現場でカメラを持つ。